権田猛資の台湾ノート

台湾生活の中で見たこと、学んだこと、考えたことを記録していきます。

【参加申込受付中】戦後75周年「2020年バシー海峡戦没者慰霊祭」は8月2日(日)に斎行

今年2020(令和2)年は、先の大戦で日本が敗戦して75周年の節目にあたります。

戦後70周年の2015年より、台湾南端に建つ潮音寺では、一年に一度、「バシー海峡戦没者慰霊祭」を執り行なっています。

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慰霊祭の場である台湾の潮音寺

先の大戦中、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡では、航行する輸送船が相次いで撃沈され、少なくとも10万人以上の方々が犠牲になりました。

慰霊祭の場となっている潮音寺は、当時、奇跡的に生還を果たした故・中嶋秀次氏の「戦友を慰霊したい」という強い想いから建立され、現在は中嶋氏の遺志を引き継いだ台湾人によって護られています。

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バシー海峡戦没者のご遺族は、今日まで亡くなったご家族のお骨が戻らず、遺留品もなければ、亡くなった際の詳細もわかっていません。

ご遺族の気持ちを推し量ることはできませんが、毎年ご参列されたご遺族の方々は、ご家族が亡くなったバシー海峡に向けて心静かに手を合わせられています。

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バシー海峡に向けて献花する人々

バシー海峡戦没者慰霊祭は、民間有志のボランティア団体が主催し、日本人と台湾人がともに手を取り合って、みんなで作り上げている慰霊祭です。

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2019年バシー海峡戦没者慰霊祭

今年のバシー海峡戦没者慰霊祭は、2020年8月2日(日)に潮音寺にて斎行します。

今日の平和を未来永劫、堅持していくためには、悲劇の歴史を忘れず、御霊に感謝と哀悼の誠を捧げることが今を生きる全ての人の責任であると思います。

戦後75周年の節目の年に、今一度、平和を誓い、戦争の記憶をしっかりと刻みつけていくことができればと思います。

 

慰霊祭の詳細スケジュールなど最新情報は、随時ホームページとFBページにて発信してまいります。

現在、参加申込受付中です。参加ご希望の方はホームページのお申し込みフォームより必要事項を記載してお申し込みください。

 

バシー海峡の悲劇はまだまだ日本人に知られていない歴史です。

多くの方々に慰霊祭にご参列いただき、バシー海峡に眠る御霊に手を合わせることができれば幸いです。

 

■お問い合わせ

E-Mail:info@bashi-channel.com (事務局長 権田猛資)

HP:http://bashi-channel.com

FB:https://www.facebook.com/bashichannel/

「自由」と「民主」を護る決意と覚悟を世界中に示した台湾人

2020年1月11日に投開票された台湾の総統選挙及び立法委員選挙について、現職の蔡英文総統は史上最多の得票数である817万231票(得票率57.13%)を獲得し、二期目の再選を果たした。これは2016年の総統選挙で獲得した689万4744票(同56.12%)を上回る結果で、552万2119票(同38.61%)を獲得した韓国瑜・中国国民党総統候補に「大勝」した。投票率は過去二回の総統選挙を上回る74.90%であった。

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蔡英文総統が二期目の再選を果たした

また立法委員選挙(全113議席)においても、民主進歩党は61議席を獲得して単独過半数を達成した。もともとの68議席から僅かに減らしたものの、引き続き蔡英文政権の政策を実現、促進するにあたり、十分な結果である。

 

今回の総統選挙・立法委員選挙で、民進党は中国との距離、即ち民主主義や自由といった普遍的価値を権威主義国家・中国から守護する戦いと位置付けた。2019年1月2日に習近平・中国国家主席が「一国二制度」の台湾モデルに言及する談話を発表して以来、蔡英文総統は、一国二制度は断固として受け入れられないという強い姿勢を貫いてきた。また6月以降の香港民主化デモは、台湾人の中国に対する危機感をさらに強化させ、中国に明確に「ノー」と言える強いリーダーとして蔡英文総統は多大な支持を集める契機となった。一方、対中融和路線を志向する中国国民党は圧倒的多数の台湾人の心を動かすことは最早できなくなってきている。

 

今回、民主主義国家・台湾は平和裡に公平公正な選挙を成し遂げ、自由民主を守る決意、覚悟を世界中に示した。当選後、蔡英文総統は国際記者会見において、「国際社会は台湾人が民主主義の価値を堅持していることを目の当たりにし、私たちの国家認識を尊重してほしい。そして台湾の国際社会への参画において公平な対応を希望する」と語った。

 

権威主義国家・中国が力による覇権を目指す今、「自由で開かれたインド太平洋」を死守するために台湾の民意に応える責任と使命が日本にもあるはずだ。日本は台湾人の強い覚悟に学び、自由民主主義陣営の更なる連帯を進めるべきだ。

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民進党本部前で大勝を祝う人々

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中国の介入を阻止する「反浸透法」が台湾で成立

12月31日、台湾で「反浸透法」が可決・成立した。これは、「国境外敵対勢力による浸透、干渉を防ぐことを目的とし、国家安全及び社会の安定を確保し、中華民国の主権及び自由民主の憲政秩序を維持する」(同法第一条)ことを主旨としている。

言い換えれば、中国によるあの手この手の内政干渉、選挙介入を阻止するための法律であり、以前から与党・民主進歩党が成立を目指していた。

 

全12条から成る同法は、敵対勢力(即ち中国)からの指示や委託を受けたり、政治献金を受け取ったりして、選挙活動などに従事することを禁止しており、違反した場合には5年以下の有期懲役あるいは1000万元以下の罰金が科される。   

野党・中国国民党は、戦後の権威主義体制下の台湾で多くの犠牲者を出した白色テロに因んだ「緑色テロ」や「戒厳令の復活」などと位置づけ、同法の成立に抗議している。

 

1月11日に投開票される総統選挙の同日には立法委員(日本の国会議員に相当)の選挙も行なわれる。国民党の比例候補者の中には中国との距離が近いとされる人物が複数、名簿上位に名を連ねており、民進党親中派議員の落選運動を展開するなどしている。

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民進党の選挙集会には「NO CHINA」の文字も

今回の反浸透法の成立によって中国の選挙介入を阻止、牽制し、公平な選挙が実現することを願うばかりである。

 

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建成小学校で学んだ台湾人の小さな「同窓会」

月に一度、台北市内の日本料理店で開かれている建成ランチ会に参加させていただきました。

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日本時代の「小学校」で学んだ人々(2019年12月2日撮影)

この会は、日本統治時代の旧台北市建成小学校で学んだ人々を中心にした集まりで、同じく日本統治時代に台北市内にあった小学校の卒業生らも参加しています。

 

建成小学校は1919(大正8)年に創立され、今年で100周年を迎えました。今年5月には日本人卒業生らも台湾への「里帰り」を果たしました。

その際のことは日本情報多言語発信サイト「nippon.com」に寄稿しましたので、よろしければご覧ください。

www.nippon.com

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全盛期には50名近く集まっていたという、建成小学校の台湾人卒業生・在校生の同窓会ですが、この日、建成小学校卒業生は5名(他校卒業生3名)でした。年々、参加者は減っているものの、月に一度、顔を合わせて旧交を温めています。

 

長年この会の取りまとめ役を務めているのは藍昭光さん。藍さんはお店の予約から次回開催日程の通知などをこれまでお一人で続けてこられました。欠席した方には次回日程を記載してハガキを送っていたそうです。

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建成小学校卒業生で、会の取りまとめ役・藍昭光さん(2019年8月19日撮影)

この日は、終戦直後に国語常用家庭の台湾人は「三本足」と呼ばれたこと、日本教育を受けた世代にとって男女が街中で手を繋いで歩くことは考えられなかったこと、エリートに娶られるために台北第三高等女学校に進学するように言われたことなど、話題は多岐に渡りました。

 

日本教育を受けた「先輩」方の小さな「同窓会」。日本語での思い出話に花が咲き、部屋中に明るい声が響いていました。

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日本郵船歴史博物館企画展「就航90周年記念 客船浅間丸〜サンフランシスコ航路を行く〜」を見学。忘れてはならない海没した戦没者の存在

横浜市内にある日本郵船歴史博物館では、1885(明治18)年に誕生し、日本を世界第3位の海運大国へと導いた「日本郵船」の歩みを紹介しており、日本の海運がいかに発展してきたかを学ぶことができます。

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日本郵船歴史博物館

戦時中に日本郵船が果たした役割についても紹介されています。

戦時中は、軍艦にとどまらず、輸送船の不足を補うため多くの民間船舶が徴用されました。日本郵船の多くの船舶も徴用されています。日本の海運業を担い、その発展に大いに貢献してきた船舶が戦争に借り出されていたわけです。

 

大戦末期、日本は比島決戦を企図し、兵員や物資などをフィリピンに集中させることを試みました。そのため、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は死活的重要な海上輸送路となりました。

多くの輸送船はバシー海峡の航行を余儀なくされましたが、待ち構える米国の潜水艦による魚雷攻撃を前に太刀打ちできず、次々と撃沈させられました。

日本郵船の船舶もまたバシー海峡で米国の攻撃の的となり、撃沈されています。

 

「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)によると、「バシー海峡」(北緯18度00分、東経118度00分から北緯23度00分、東経123度00分で囲まれた海域)では計78隻の商船が撃沈されたと言います。

 

現在、日本郵船歴史博物館では企画展「就航90周年記念 客船浅間丸〜サンフランシスコ航路を行く〜」が開催中です。

1929(昭和4)年に竣工し、「太平洋の女王」とも称された豪華客船「浅間丸」について、船長の遺品や供された食事のメニューなど関係するコレクションが見学できるほか、船内の様子や初航海から沈没に至る軌跡を学ぶことができます。

浅間丸は1941(昭和16)年11月に海軍に徴用されました。そして、外交官や在留邦人らと敵性国人の交換船として活躍するなどしました。

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企画展は2020年1月13日まで開催

かつて台湾少年工として日本本土に渡った東俊賢さんは、台湾・基隆から浅間丸に乗船した経験があります。

東さんによると、船内部に入ることは許されなかったものの、荷物置き場として使用されていたプールやテニスコートが印象的で、子供ながらに船の大きさ荘厳さに驚いたそうです。乗船中は、毎日数回、緊急時の避難訓練を繰り返し、救命ボートの乗り方や救命胴衣の着用方法を教わったそうです。また、浅間丸は、航行中、「どんな荒波にもビクともしない立派な船」だったようです。

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東俊賢さん(2019年11月28日撮影)

しかし、そんな立派な浅間丸も1944(昭和19)年11月1日にバシー海峡を航行中、米軍による魚雷攻撃により、第一撃からわずか10分足らずで海没しました。甲板に設置されていた筏にしがみつき、護衛艦に救助された乗組員もいたものの、この時128名が犠牲になりました。

 

先の大戦では海軍軍人にとどまらず、多くの船舶会社の船員も海上で犠牲になっています。日本郵船では計5312名が戦争によって命を落としました。そして日本郵船は戦時中、戦没した従業員の慰霊祭を4度に渡り執り行っています。

 

現在、公益財団法人日本殉職船員顕彰会は毎年5月、戦没・殉職船員追悼式を斎行しているそうです。

 

「輸送船の墓場」として恐れられたバシー海峡をはじめ、海上で犠牲になった戦没者の人数などは戦後74年がたった今も正確にはわかりません。戦後75周年を前に、今一度、海で犠牲になった多くの戦没者に想いを致すことができればと一日本人として思います。

インパール作戦の惨劇を知る趙中秋さんが選んだ利他的に生き抜くということ

11月24日、高雄市内にて、先の大戦末期に軍属としてインパール作戦に参加した経験を持つ趙中秋(ちょう・ちゅうしゅう)さんにお話をうかがいました。

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インパール作戦に参加した趙中秋さん

台湾・高雄で生まれた趙さんは、90歳を超えた今も日台関係のイベントに足を運んだり、訪ねてくる日本人や台湾人に自身の戦争体験を語ったりするなど、精力的に活動されています。

 

台湾で英軍捕虜を連れて歩く日本軍人の姿を見て憧れを抱き、軍属に志願した趙さんは、ビルマ方面軍司令部の経理部に配属され、インパール作戦に参加しました。

「無謀」の作戦とも評されるインパール作戦ですが、趙さんは「無謀とわかっていたらやらない」と語ります。実際、ビルマに上陸した当初は趙さんはじめ戦友の誰もが「勝つ見込みのある戦い」と信じていたそうです。

そして、戦友たちと「もうすぐだ、もうすぐだ」と言い聞かせて、インパール攻略に向けて前進しました。

 

しかし、英軍と衝突して敵国に比べて兵器や食糧が圧倒的に不足する現実を目の当たりにし、後退を繰り返す中で、玉音放送を聴かずとも、日本は勝てないとわかってきたそうです。

 

勝つことだけを信じ前進していた戦友たちは、餓死や疫病にとどまらず、自ら銃の引き金を引いて自決した人も多数いました。

 

負けるとわかって自殺を選ぶ人がいる一方で、趙さんは負けるとわかって仲間のために生きることを選びました。

自ら進んで蛇を殺したり、雷魚を捕獲したりして仲間のために食料を調達したと言います。

 

インパール作戦の証言をうかがう中で、利他的に生き抜くという趙さんの人生哲学を教えていただきました。

 

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日本軍艦を祀る台湾・高雄の保安堂で日台交流式典

11月23日、日本軍艦を御神体として祀る台湾南部・高雄に建つ紅毛港保安堂で、日台交流を目的とする式典が執り行われました。

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2013年に神像などが遷座された現在の保安堂

同日15時には沖縄県護国神社の加治順人・宮司による神式の慰霊供養が行われ、同廟に祀られている日本軍人の御霊の里帰りが参列者によって祈られました。

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神式の慰霊供養が行われた

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日本軍人の御霊が故郷に帰ることができるよう祈る参列者

保安堂建立の起源は終戦翌年の1946年に遡ります。その年、かつて紅毛港と呼ばれた村の漁民が漁に出ていた際、頭蓋骨が漁網にかかりました。そして、その頭蓋骨を弔い祀ったところ大漁が続くようになりました。人々はそれを御利益と考え、1953年に保安堂(現在の場所とは異なる)を建立し、地元で信仰を集めるようになったそうです。

その後ある信徒が、頭蓋骨の身元は戦時中に撃沈された日本海哨戒艇の艦長であるというお告げを受け、夢枕に現れた艦長は部下とともに弔って欲しいと語りました。地元民は御霊が故郷に帰ることができるよう日本軍艦の模型を作製しました。

 

【参考】

紅毛港保安堂ホームページ(日本語)

片倉佳史氏「高雄 (2)―台湾の産業と経済を支える港湾都市」(交流、2016年8月)

台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養(産経新聞、2014年1月10日)

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保安堂に安置されている軍艦模型

2013年12月には神像などを現在の保安堂に遷座する落慶祭が執り行われ、白と青を基調とした日本風の新堂に軍艦模型も安置されました。

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2013年12月29日に落慶祭が執り行われた

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落慶祭には当時の陳菊・高雄市長(現総統府秘書長)も祝福に駆けつけた

保安堂によると、近年、日本の防衛省防衛研究所の史料を調査するなどし、同廟で祀る「海府大元帥」が、バシー海峡で撃沈された38号哨戒艇の高田又男艦長であるとわかったとのことです。

 

保安堂の張吉雄・主任委員は、高田艦長以下145名の38号哨戒艇乗組員の祖国への帰還を目指しており、バシー海峡に今も沈んでいる、或いは台湾最南端で埋葬されていると考えられる145名のご遺骨の調査及び収集をするため「蓬38號艦英靈返郷團」を今年結成しました。張主任委員は「2年以内に英霊を祖国に返したい」と話しており、保安堂に住み込みで調査や活動を続けるなど、自身の使命として取り組んでいるそうです。

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保安堂の張吉雄・主任委員

23日の式典には日本からの慰霊訪問団など、多くの日本人と台湾人が集いました。

「台湾と日本の民間交流のプラットホーム」(張主任委員)を志向する保安堂は、今後も38号哨戒艇が撃沈された11月25日に合わせ、日台交流の式典を執り行っていくそうです。

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台湾籍元日本兵の楊馥成さんらが日本の軍歌を披露した

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陳菊・総統府秘書長が駆けつけた

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来賓として招かれた香田洋二・元自衛艦隊司令官海上自衛隊の「海ゆかば」を披露

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日本人と台湾人でお神輿を担いで祝福

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参加者による記念撮影

台湾における信仰、また日本人の御霊を故郷に返したいと願う人々の熱い想いに触れられる場所が台湾にありました。

 

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