インパール作戦の惨劇を知る趙中秋さんが選んだ利他的に生き抜くということ
11月24日、高雄市内にて、先の大戦末期に軍属としてインパール作戦に参加した経験を持つ趙中秋(ちょう・ちゅうしゅう)さんにお話をうかがいました。
台湾・高雄で生まれた趙さんは、90歳を超えた今も日台関係のイベントに足を運んだり、訪ねてくる日本人や台湾人に自身の戦争体験を語ったりするなど、精力的に活動されています。
台湾で英軍捕虜を連れて歩く日本軍人の姿を見て憧れを抱き、軍属に志願した趙さんは、ビルマ方面軍司令部の経理部に配属され、インパール作戦に参加しました。
「無謀」の作戦とも評されるインパール作戦ですが、趙さんは「無謀とわかっていたらやらない」と語ります。実際、ビルマに上陸した当初は趙さんはじめ戦友の誰もが「勝つ見込みのある戦い」と信じていたそうです。
そして、戦友たちと「もうすぐだ、もうすぐだ」と言い聞かせて、インパール攻略に向けて前進しました。
しかし、英軍と衝突して敵国に比べて兵器や食糧が圧倒的に不足する現実を目の当たりにし、後退を繰り返す中で、玉音放送を聴かずとも、日本は勝てないとわかってきたそうです。
勝つことだけを信じ前進していた戦友たちは、餓死や疫病にとどまらず、自ら銃の引き金を引いて自決した人も多数いました。
負けるとわかって自殺を選ぶ人がいる一方で、趙さんは負けるとわかって仲間のために生きることを選びました。
自ら進んで蛇を殺したり、雷魚を捕獲したりして仲間のために食料を調達したと言います。
インパール作戦の証言をうかがう中で、利他的に生き抜くという趙さんの人生哲学を教えていただきました。