日本軍艦を祀る台湾・高雄の保安堂で日台交流式典
11月23日、日本軍艦を御神体として祀る台湾南部・高雄に建つ紅毛港保安堂で、日台交流を目的とする式典が執り行われました。
同日15時には沖縄県護国神社の加治順人・宮司による神式の慰霊供養が行われ、同廟に祀られている日本軍人の御霊の里帰りが参列者によって祈られました。
保安堂建立の起源は終戦翌年の1946年に遡ります。その年、かつて紅毛港と呼ばれた村の漁民が漁に出ていた際、頭蓋骨が漁網にかかりました。そして、その頭蓋骨を弔い祀ったところ大漁が続くようになりました。人々はそれを御利益と考え、1953年に保安堂(現在の場所とは異なる)を建立し、地元で信仰を集めるようになったそうです。
その後ある信徒が、頭蓋骨の身元は戦時中に撃沈された日本海軍哨戒艇の艦長であるというお告げを受け、夢枕に現れた艦長は部下とともに弔って欲しいと語りました。地元民は御霊が故郷に帰ることができるよう日本軍艦の模型を作製しました。
【参考】
・片倉佳史氏「高雄 (2)―台湾の産業と経済を支える港湾都市」(交流、2016年8月)
・台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養(産経新聞、2014年1月10日)
2013年12月には神像などを現在の保安堂に遷座する落慶祭が執り行われ、白と青を基調とした日本風の新堂に軍艦模型も安置されました。
保安堂によると、近年、日本の防衛省防衛研究所の史料を調査するなどし、同廟で祀る「海府大元帥」が、バシー海峡で撃沈された38号哨戒艇の高田又男艦長であるとわかったとのことです。
保安堂の張吉雄・主任委員は、高田艦長以下145名の38号哨戒艇乗組員の祖国への帰還を目指しており、バシー海峡に今も沈んでいる、或いは台湾最南端で埋葬されていると考えられる145名のご遺骨の調査及び収集をするため「蓬38號艦英靈返郷團」を今年結成しました。張主任委員は「2年以内に英霊を祖国に返したい」と話しており、保安堂に住み込みで調査や活動を続けるなど、自身の使命として取り組んでいるそうです。
23日の式典には日本からの慰霊訪問団など、多くの日本人と台湾人が集いました。
「台湾と日本の民間交流のプラットホーム」(張主任委員)を志向する保安堂は、今後も38号哨戒艇が撃沈された11月25日に合わせ、日台交流の式典を執り行っていくそうです。
台湾における信仰、また日本人の御霊を故郷に返したいと願う人々の熱い想いに触れられる場所が台湾にありました。