台湾を学ぶ会「杜祖健先生、台湾史を語る」の開催報告
10月15日(火)18時30分より、台北市松江路のIEAT松江會議中心にて、台湾在住作家の片倉佳史さんが主催する日台学びのイベント「杜祖健先生、台湾史を語る」が開催されました。平日の夜にもかかわらず、定員50名の会場がいっぱいになりました。
今回のゲスト講師は、毒性学及び生物・化学兵器の世界的権威である杜祖健(アンソニー・トゥー)・コロラド州立大学名誉教授。1930(昭和5)年に台北で生まれた杜先生は現在89歳です。
冒頭、主催者である「台湾を学ぶ会」代表の片倉佳史さんは「教科書には書いていない、切り口を変えたところから台湾の歩みを考えたい」と今回の学びのイベントの趣旨を説明しました。
講演の前半パートは、台湾で初めて医学の博士号を取得したお父様の杜聡明やお母様の生まれた名門「霧峰林家」のお話など、杜先生の発する言葉の一つ一つが貴重な「歴史的証言」でした。
例えば、杜聡明が台北帝大教授になった際、朝鮮総督府から台湾人を教授にしたことに対する「クレーム」があったというエピソードは、当時の時代背景を考えさせられるお話でした。
杜先生は、1994年6月27日の松本サリン事件や翌年3月20日の地下鉄サリン事件が発生した際、警察当局の捜査に協力してサリンの土壌からの検出法や分析法など情報を提供したり、指導にあたったりと、事件解明のきっかけを作った功績で知られています。2009年にはそのことが高く評価され旭日中綬章を受章されました。
また2011年12月14日には、オウム真理教教団内でサリン製造の中心人物であった中川智正死刑囚と初めての面会を果たし、以降、死刑執行までの間、計15回の面会を重ね、サリン事件の真相を追求しました。
今回の講演の後半パートでは、一連のサリン事件の際に日本の捜査に協力した経緯や中川氏から聞いたオウム真理教の教団内の実態など、杜先生でなければ語ることのできないお話をうかがうことができました。
他にも陳儀銃殺秘話やジョージ・カー先生との思い出、杜聡明による袁世凱暗殺計画などどれも記録として後世に残していくべきエピソードばかりでした。
講演終了後には参加者有志で杜先生を囲んでの懇親会が会場近くのお粥屋さんで行なわれました。
教科書には書かれていない生の証言をうかがうことができる貴重な機会を作ってくださった片倉佳史さんに改めて感謝申し上げます。
こうした証言を記録としてしっかりと書き留めていく必要性を痛感させられた有意義なイベントでした。
杜祖健(と・そけん)/Anthony T.Tu先生プロフィール
1930(昭和5)年8月12日、台北生まれ。父は台湾人初の医学博士号取得者として知られる杜聡明。台北市樺山小学校、台北一中を経て、国立台湾大学理学部。卒業後、渡米し、ノートルダム大学(修士)、スタンフォード大学(博士)。スタフォード大学、エール大学で生化学を修める。1967年よりコロラド州立大学で教鞭をとり、1998年から現在まで同大名誉教授。専門は蛇毒の毒物研究。毒性学、生物兵器及び化学兵器の世界的権威として知られる。オウム真理教による松本サリン事件および地下鉄サリン事件の際、日本の警察に協力し、事件解明の糸口を作った。サリンの検出法、分析法などの情報提供・指導を行い貢献。その功績が評価され、2009年に旭日中綬章受章。2011年12月14日、オウム真理教教団内でサリン製造の中心人物であった中川智正死刑囚と初めての面会を果たし、以降、刑執行までの間、計15回の面会を重ね、サリン事件の真相を追求した。著書に『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』(角川書店)ほか多数。編著に『沖縄と台湾を愛したジョージ・H・カー先生の思い出』(新星出版)。